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『あんこ』は目上の女性を親しみを込めて「おとらあんこ」など名前の下につけて呼びました。今では広く島の娘さんのこと、ちなみに私は男。   連絡メール

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あんこ人形誕生記
昭和初期、伊豆大島に生まれた農民美術「あんこ人形」、 島人に彫刻を指導した彫刻家木村五郎、60年彫り続けた職人の父、人形生誕から資料館を開くまでの回想と資料館の今と未来を記す
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農民美術運動と東北の郷土玩具  
「農民美術の運動」は大正の中期に長野上田から全国へ広がってゆきました。昭和2年2月に日本美術院の
彫刻家木村五郎は京都宇治で行われた「宇治茶摘人形農民美術講習会」ではじめて日本農民美術研究所嘱託員として派遣され彫刻の指導をしました。
 昭和2年秋、大島に住む親戚筋にあたる大橋清史氏に誘われて木村五郎は大島にやって来ました。木村五郎ははじめての大島で見た婦人風俗に興味を持って帰京、12月には長野県川路村の農民美術講習会に赴き、「伊那踊」の彫刻指導、昭和3年には秋田大湯で指導しました。彫刻家の誰もが試みる裸体や人物などの芸術作品を作る一方で各地に出向いて農民に教え、その土地土地で見た独特の風俗を自分の芸術作品に仕上げて作品を発表しました。
 大島では昭和4年1月、5月、昭和5年3月に農民美術講習会が木村五郎を講師に迎えておこなわれ、「薪をささぐ女」「水桶をささぐ女」などあんこ人形の彫刻技法が島人に伝授されました。受講者たちは生産組合を作り技術の向上をはかり、次第に観光客が増えつつあった大島の観光土産として「あんこ人形」は注目されるようになりました。
私の父はこの木彫の「あんこ人形」を昭和9年頃から60年彫り続けた職人です、私はあんこ人形が農民美術運動の一環から生まれたということを知ってから、全国規模で展開された「農民美術運動」の全体像を知りたいと思うようになり15年ほど前に熱心な農民美術研究家の山口先生と出会い、今日まで農民美術のいろはを教わってきました。
このたびの東日本大震災に会われた地方の方々をお見舞いすると同時に「東北の郷土玩具」と農民美術人形のつながりを山口先生(教員OB)はまとめられて、東北の美術館や図書館に送られました。




img038.jpg

   農民美術運動と東北の郷土玩具   丹野寅之助著「東北郷土玩具研究」の考察       山口畑一

    この拙文を「東日本大震災」の被害に苦しまれる東北の皆様にお悔やみとお見舞い
    の心をこめて捧げます。
    東北は土人形・張子・こけし・凧・木彫等の郷土玩具の宝庫であります。そして沢
    山の湯宿がある山海の景勝地でもあります。著者丹野寅之助氏は十年間に渡り東北
    各地を行脚し東北の玩具を探求しました。皆様方も東北の旅で東北の「おもちゃ」
    をお求め下さる様切望致します。
  
      父母を津波に亡くす孤児(みなしご)の卒業証書泥にまみ塗れる 爽風


農民美術運動
 画家山本鼎が一九一九年に「日本農民美術建業の趣意書」を長野県神川村(現上田市)に配布し、農村青年の趣味の向上と副業に依る収益をはかることを目的として展開した運動である。一九二三年の農民美術研究所の設立、一九二五年以降の農商務省からの補助金の交付もあり、農民美術生産組合が全国的に組織され、日本各地に農民美術講習会が開催された。生産活動は多面に及んだが木片(こっぱ)人形がその代表的な製品となった。
一九三〇年代に政府の補助金削減による経済的行き詰まりや、戦争による青年労働力の喪失と相俟って一九三五年には農民美術研究所は閉鎖となった。
このように運動は短期間のものであったが山本鼎は日本で芸術をもってして農民生活の改善を唱え、その推進にもっとも成功した人物の一人として「民衆芸術論」の立場から光が当てられている。郷玩家有坂与太郎等の批判家も存在するが、鼎たちが興した生産組合の活動は今なお農美連合会として存続している。
          
まえがき 
農民美術に関わりのある「郷土玩具」について 日本郷土玩具の会高野荘三委員より多数の郷玩本の紹介を頂きましたが、その中の一冊、丹野寅之助著「東北郷土玩具研究」(仙台鉄道局・昭和十三年十一月発行)について考察した。この本は「人形文化資料展」の目録に示された郷玩文献十五件(うなゐの友等)の中に含まれている。尚日本旅行協会から昭和十二年一月に「東北の玩具」が発行されていますので注意を要します。

  次の二つの観点から考察しました。
(一) 農民美術運動から生み出された郷土玩具
(二) 農民美術運動に連動した郷土玩具
         
各論   

(一)農民美術運動から生み出された郷土玩具

①大湯彫(十和田)人形  秋田 大湯

(イ)著書には次の様に記述されている。

 昭和三年の夏八月私は十和田湖の帰りを温泉「大湯」に立ち寄り、俳人小魚を訪うた。
そのとき同氏は、村の青年達といっしょになって木彫人形の製作に餘念なかったが、指導してくれている若い男が大日本農民美術研究所の同人である木村五郎氏だといふことだった。其の時の作品は僅か二種に過ぎなかったと記憶してるが、そののち二種を加へて、牛追ふ人、農夫、雪の童女、雪の娘を完成した。小魚氏の紹介文は「十和田人形は我が国東北に於ける農民美術の第一声であります。そは周圍民俗の表象で隋て又湖山景勝のしたたりともいひましやう。創作者木村五郎先生風俗人形四種ボッチハ秋田の風、毛布、日ごも、腹当、共に湖山円周の、十和田の湖は万古の色をたたえてゐます。土俗所産者に此人形をお薦めいたします」と書いてある。素材は朴の木を用ゐ、木質をきづつけぬ彩料を使ったところに品位が窺はれる。
   
                         秋田県鹿角郡大湯町 製作者 秋田農民美術倶楽部



(ロ)記述内容の考察
 
丹野氏が浅井小魚を訪問したのは昭和三年八月五日の午後であることが小魚日記に書かれている。当日(午前省略)の記録は次の通りである。「旅館に行くと先生は本を読んでおられた。先生と話をしていたら仙台鉄道局の丹野寅之助と言う人の名刺が届いた。二階から降りて行くと東北玩具案内編集者と言う人物である。二階で木村先生と一緒に話をした。人形を見たいと言うので先生と一緒に講習会場である小学校え行った」とある。
 浅井氏は本名末吉、月太と号し改号して小魚。本業は鍛冶屋であるが郷土史家(大湯環状列石発見・十和田湖調査)、歴史資料収集家、俳句、俳画、短歌、漢詩、小説等に多彩な才能を発揮した文化人である。
 木村五郎は日本農民美術研究所から派遣された日本美術院同人の彫刻家で、京都宇治の茶摘人形、長野川路の伊那踊人形、伊豆大島のあんこ人形等の農美講習会の講師で秋田大湯では昭和三年と五年の二回の講習会の指導者である。三十七歳で夭折。
 作品はその時(八月)二種であったがその後二種加えられたと記述しているが昭和三年の講習で四種作成されている。人形の名称は経過的には色々と表現されているが木村五郎が松村秀太郎に宛た絵葉書と上田貞三の出展目録の呼称が正式である。即ち牛追い・農婦・雪の娘・雪の童女の所謂「大湯彫四体」である。
 大湯彫について小魚の紹介文が示されているがこれは人形に添えて箱に入れた解説書の文面で手摺木版和紙横十七糎縦十二糎の大きさで趣味深い。氏の記録した「人形制作控」に依って出展先、販売先、生産量(昭和三、四年が最高)等の詳細が解る。
 製作者を秋田農民美術倶楽部としているがこれは昭和三年六月十三日の大湯土俗生産組合自由研究所会場開きの話から丹野氏が適当に呼称したものと思われる。「大湯村土俗生産組合」から「大湯農美術生産組合」に変更になった以外の製作者名の存在はない。前者の組合長は浅井小魚、後者の組合長は千葉茂(歯科医)。副組合長の花海清人は優れた多くの木彫人形を作成している。また詩人・歌人でもある。

② 凹平(へこへい)人形  福島 廣田

(イ)著書には次の様に記述されている。
 
 凹平といふのは作者のペンネームで、奈良一刀彫の刀法に恒友、芋銭、三郎氏等の絵画的風趣をとりいれた  木彫人形、よく会津地方の風俗を発揮してゐる。名称も地方の方言そのままを用ゐ、アネサ(姉さん)雪靴、角巻、コメラ(子供)の種類があり、会津諸温泉の浴客のため思出の記念になる土産物をと思ったのが制作の動機ですーと作者の話だった。
     
                               福島県河沼郡日橋村 製作者 伴野凹平


(ロ)記述内容の考察

 凹平名には意味はないとした記録(有坂与太郎・郷土玩具号)もある。
 廣田は出生地の大字名であり後に東山温泉に移住している。彼は奈良の本島良宗氏に就き一刀彫の刀法を修め大正十五年末より作り初めた。彩色には日本画の絵具を用いているが小川芋銭、酒井三郎、森田恒友等日本画壇の有名作家を参考に絵画的風趣をとり入れている等彼の美意識の深さが窺える。作品の名称にも地方の方言をそのまま用い、アネサ(姉さん)コメラ(子供)スカリ(藁鞄〈かばん〉写真にある背負い)等とし、雪靴、角巻、白虎隊、登山人形、達磨、彼岸獅子等郷土色豊かなものを数種作成した。
 特に彼岸獅子の彩色、筆致は絵画的で素晴らしい出来栄えである。
 私の所蔵作品の「アネサ」は桐箱入りで凹平人形とアネサの二枚の木版刷の貼票がある。人形台座には凹平の焼押印があり、意匠は鍬を担いだ農婦像で彩色は五色、寸法は台座とも五糎、材料はモウダ(柳の使用例あり)。価格は五十銭で五割の利益が見込まれていた。
 販売先は物産館、飯盛山、猪苗代湖、会津諸温泉で修学旅行団体の土産には無くてはならないものの一つであった。秩父宮勢津子妃殿下、東久邇宮妃殿下、徳川喜久子姫、各宮様から御買上げの光栄に浴している。
 著書では会津諸温泉の浴客のため思出の記念になる土産物をと思ったのが製作の動機であると作者の弁を記述しているが農民美術運動と結びついた覚悟のものであることが昭和四年の報知新聞に記された次の作者自身の告白で明らかである。「会津風土風俗を美術化したもので、農民美術として将来農閑期利用の副業として誰でもやれるよう、ごく簡単な製作法で面白味を出すように考案した」
とある。凹平についての詳細は会津新聞社の「会津」第四年五号の田代杢平氏の紹介を参照されたい。


(二)農民美術運動に連動した郷土玩具
  
①竹駒木馬(木の下駒) 宮城 岩沼

(イ)著書には次の様に記述(文末のみ)されている。

然し年を経るに従って竹駒木馬の昔の俤が次第に消え、現代化するを遺憾とし、昭和二年原始的一体に基き形状彩色とも其の儘に作りあげたのが此の玩具である。

                                製作者 岩沼小学校内・岩沼町青年団



(ロ)記述内容の考察

 農民美術運動に参加した組織体は様々でその一つとして青年団がある。第二回青年創作副業品展覧会は聯合青年団の主催で日本青年館で開催された。この目録には下谷、本郷をはじめ全国で十八の地域の青年団が参加している。目録には名取郡岩沼町字南館七七の勝又頼治氏が一点三十五銭で木馬を二十個出品している記録がある。
 青年団は戦前小卒の一定地域に住む勤労青年に依って組織された自治団体であるが、青年は青年学校に入り、軍事、普通、産業の教育を受けた。副業についての職業教育も行われた。団の本部は小学校や寺院に設置された。
 「木の下駒」の場合は伝統的郷玩の再興運動を通して自力更生の精神を養うという副業活動として行われたものであり、当時の村起し運動の機知と情熱を感じとることができる。

img003.jpg img0033.jpg
左 木の下駒(竹駒木馬復元) 製作者・宮城県岩沼町青年団  右 第2回青年創作副業品展覧会出品目録


②農美運動に連動するその他の玩具
 
 別の機会に取り上げここではその対象となるものを列挙するだけに止める。

      岩手  盛岡 桐人形     花巻 鹿踊(ししおどり)
      山形  米沢 笹野彫(再興) 鶴岡 木の実人形
      青森  弘前 松笠人形
      秋田  角館 桜人形
         
むすび
 丹野氏は昭和三年四月に「東北土俗玩具案内」を発行しその十年後に本書を発行している。この時期は農美運動の最盛期でもあることからして氏は農美に深い関心を持っていたとは見てとれない。その根據は大湯人形にも凹平人形にも農美の視点からの探究が無い。また特に後年秋田を代表する版画家に大成した勝平得之は大湯農美の講習生で木村五郎の指導を受け勝平木彫と迄評価された秋田風俗人形の作家である。巻末記に得之の名を揚げ行動を共にして居ながら農美に全く触れていないのは誠に心残りである。然し十年間に渡り東北各地を行脚してこの本を発行した業績は高く評価されるべきであり東北への愛郷心の深さが窺える。銘すべき哉。
 私は二回大湯に赴き創型会木彫家福本晴男、書家の浅井汸二、花海旅館の花海邦子、大湯郷土研究会長の斉藤長八、秋田の得之ご系譜の勝平新一、大島農美資料館長藤井虎雄各氏より多大な御教示とご協力を頂き大湯農美の調査に取り組むことが出来ました。
また京都在住の郷玩研究家廣田長三郎氏より勝平得之の秋田風俗木彫二体をはじめ数多くの農美木彫風俗人形の御恵贈に与かりました。
関係の皆様に心より感謝申しあげます。

       付記

一、この資料に掲出の郷土玩具「木の下駒」「鹿踊」「笹野彫」以外は廃絶品となって居ます。
二、見学は次の場所でできます。

① 秋田市立赤れんが館・勝平得之記念館 〒010―0921 秋田市大町3の3の21
  ℡018―864―6851

② 木村五郎・農民美術資料館(藤井工房)木曜定休 〒100―0101 東京都大島町元町2の1の5
  ℡04992―2―1628

③ 宿 花海館  花海清人木彫作品・詩歌集(長谷川清一・大湯こけし)
  〒018―5421 秋田県鹿角市十和田大湯温泉上ノ湯34―1
  ℡0186―37―2―3221

三、木の下駒(竹駒木馬)作者不明・調査中 問い合せ先 岩沼市役所観光課
  〒989―2480 岩沼市桜1―6―20 ℡0223―22―1111 

  鹿踊 製作者 後藤登美雄 〒024―0076 北上市鳩岡町2―34
  ℡0197―77―3294

  笹野民芸館(笹野彫)製作者 笹野彫協同組合〒992―1445 米沢市笹野本町5208―2
  ℡023―38―4288

筆者  山口畑一 郷土玩具の会会員 〒339―0022 ℡048―798―0849 
  埼玉県さいたま市岩槻区高曽根1000
         ※ 資料として掲載した写真の人形は筆者所蔵のものです
                                   (平23・4・11記)




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日本郷土玩具の会第30号(平成23年8月1日号)に写真構成は若干異なりますが、上記本文が掲載されました。

参考  山口畑一(筆者)所蔵の人形(掲載した写真)の作品名と製作者名

     大湯彫 農夫  雪の娘  雪の童女  浅井小魚作 
     大湯彫 牛追い  瀬川善治作 
     大湯彫 秋田犬  浅井小魚作 

     勝平彫 雪の子(2体) 勝平得之作 京都 郷玩研究家広田長三郎氏恵贈品 
     勝平彫 馬方 秋田犬  勝平得之作 

     凹平人形 アネサ(姉)会津ヘコ平人形土産 伴野凹平作
     凹平人形 スカリ(正面像)スカリ(背面像 藁鞄) 伴野凹平作 
     凹平人形 白虎隊 彼岸獅子 伴野凹平作 
     勝平得之 版画 表紙絵
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この記事に対するコメント
原です
ご無沙汰しております。
東北の郷土玩具の農民美術についての山口先生の考察を拝読し、感銘を受けております。小生は、藤井様に木彫り人形の整理を勧めて頂きながら、未だ手つかずの状態でお恥ずかしい限りです。山口先生の考察論文をじっくりと拝読したいと願っております。冊子をお譲り頂くことは可能なのでしょうか?
また、会津とのご縁もありますので、凹平氏の会津木彫り人形についても少し調べてみたくなりました。
【2011/09/05 11:51】 URL | 原です #yGOL833Y [ 編集]

お久しぶりです
何とかあんこ人形のルーツや農民美術運動から生まれた人形たちについて足跡を残しておけないものか、そう思って山口先生のお手伝いをはじめてからずいぶん経ちます、早くしないと闇に忘れ去られてしまいます。
文章はブログにあるものと同じですが、原稿が大島に残っているのでプリントしてお渡しできます。
とてもユニークだったらしい伴野凹平について、またその人形は関して何か分かればうれしい限りです、少し分かってきたようです、凹平人形をお持ちですか。
もう80年も前の出来事です、一人一人が持つ少ない資料を個々で解明するよりも何人かが情報を共有することで見えてくるものも有るだろう、そう思ってこうしてブログで公開を続けています。
数日前には半日かけて国会図書館で昭和5年から7年までの「信濃毎日新聞」を調べて農民美術の記事や山本鼎の手記などを探してきました、あと一日有れば納得の行く結果が出るかもしれません(信濃毎日にもっと大きな記事が載っていると想像しているので)。
農民美術発祥の地である「長野上田」がもっともっと熱心に動いてくれないかなーなどと思いながら作業を続けています。こうしてお話できるのが何よりです。
 tora26@fsinet.or.jp へ送り先などをメールしていただければ資料をお送りいたします。 藤井より


【2011/09/09 15:11】 URL | ankosan #- [ 編集]


私の「日常の雑多なブログ」に同好の方からメールが届いたのでここに添付させていただきます。

藤井虎雄様 
五年ほど前に突然メールでご連絡させていただいた栃木県大田原市の萩原です。その節は故人浅井小魚氏の大湯木彫りや湯西川農美活動など種々の資料コピー、そして藤井様の大島農美資料館等の関係資料などをお送りいただき、本当に有難うございました。お蔭様で小生の狭範な農美に関する知識を一気に広めてくださいました。
藤井様の木村五郎研究を中心に、資料館建設とその後を綴られたブログは全てファイルさせていただき、私のバイブルとして事ある毎に読ませていただいております。ここ数年はあまり中身のあるお話が無かった(失礼!)ので、ブログを拝見するのもご無沙汰がちでした。ところが久し振りに、山口畑一先生に関する東北大震災メッセージと東北農美記事を拝見し、驚きと喜びのなか、取り急ぎメッセージさせていただいた次第です。
私は今、当市の中心市街地活性化事業に関わり四苦八苦の状況にありますが、何とか時間を作って藤井様の大島までお伺いし、農美と木村五郎のお話など種々お聞かせいただければと念じております。
藤井様の今後益々のご健勝と工房・ドーム資料館のご発展を心からご祈念申し上げます。
(2011年10月15日 20時07分00秒)
【2011/10/16 11:43】 URL | あんこさん #- [ 編集]


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