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『あんこ』は目上の女性を親しみを込めて「おとらあんこ」など名前の下につけて呼びました。今では広く島の娘さんのこと、ちなみに私は男。   連絡メール

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あんこ人形誕生記
昭和初期、伊豆大島に生まれた農民美術「あんこ人形」、 島人に彫刻を指導した彫刻家木村五郎、60年彫り続けた職人の父、人形生誕から資料館を開くまでの回想と資料館の今と未来を記す
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「伊豆大島あんこ人形の歴史」
 代りばえのしない中味と写真ではありますが、再度自分なりに「あんこ人形の歴史」、藤井重丸にはじまり、彫刻家木村五郎・人形職人60年の藤井重治、そして今の資料館責任者の私に繋がる歴史をもう一度整理しておきたいと思います。 

 古くから大島に渡ってくる手段は船頼みでした、本格的な大島航路は明治40年、133トンの豆相丸が月3回の航海ではじまりました。昭和3年までは牛や貨物と人間が同乗する、貨物優先の船舶が週3日ほど通ってきていました。昭和4年に念願の純客船が毎日運行され、2000トン級の船が東京―大島、伊東―大島-下田を毎日往復するようになりました。
 明治の終り頃から多くの画家や文人たちが作品を描きに訪れていますが、定期大型船の就航により一般観光客が来島するようになりました。昭和3年には流行歌「波浮の港」がヒット、昭和6年には三原山に蒙古産の駱駝とロバを放ち、旅客を乗せて砂漠を横断するといった企画が人気を呼び、昭和8年女学生の三原山投身自殺を契機として投身自殺流行の奇妙な現象が起こり、一種の大島ブームが現出しました。このようにして伊豆大島の存在は広く知られるようになりました。
 画家を目指していた福島会津若松生れの藤井重丸は大正14年春頃に大島へやってきて岡田村に住み着きました。当時は「大成したければ大島を描け」を合言葉にして、多くの芸術家たちが大島へやってきました、その理由は何だったのか、大島に何があったのでしょう。
藤井重丸は南国情緒の「大島婦人風俗」のあんこ姿に着目して素朴な「木彫りあんこ人形」や版画絵葉書などを作り、観光みやげとして販売をはじめました。「あんこ」は姉っこが変化した地方言葉で「目上の女性を親しみ込めて呼ぶ」呼称です。

あんこ人形用絵葉書 画像 020
 大島の婦人風俗絵葉書(昭和初期)     婦人風俗を木彫に、あんこ人形創始者藤井重丸作品

画像 002
 藤井重丸あんこ(島娘)人形


 昭和4年から5年にかけて版画・洋画家の山本鼎が主宰する「趣味と実益を兼ねた産業の成立を目指した農民美術運動」の一環として、日本美術院所属の彫刻家木村五郎が彫刻講習会を開き島人に「あんこ人形彫刻」を伝授しました。木村五郎は昭和10年37才で亡くなるまでに「伊豆大島風俗木彫作品」を院展に10点ほど出品して注目されました。

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 大島の講習会で伝授された「あんこ人形」左【山帰り】 右【水汲み】

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 大島農民美術講習会(昭和4年)

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 木村五郎の院展出品(昭和5年)作品「水汲みの島娘」

島人人形
 島人が学んで彫り上げた「あんこ人形」


 受講した数人の島民は観光みやげの製作の道を進みましたが、短い講習期間で有ったために専業の仕事に出来た人は少なかったようです、最初は柔らかなエゴやミズキを使い、後には硬い桜や椿材で彫るようになりました。
東京で仕事をしていた藤井重治は昭和9年に島に戻ると、賑やかになっていた元町登山口で土産物店を開きました。その頃は木村五郎から指導を受けた島人数名が「あんこ人形」を彫っていたので見本を見たり先輩から彫り方を学び、店頭で実演販売をはじめました、バスで山頂まで行ける別なルートが出来るまで三原山登山のお客さんで賑わっていました。登山口を観光のお客さんが歩かなくなると店を港近くに移し、生涯60年かけて「島の女性の働く姿・水汲みの姿を伝えるため」に藤井重治は「あんこ人形」を12万体作りました。
平成9年に90才で永眠、この時点で木村五郎から伝授された「あんこ人形」を作る島人は途絶えました。

重治初期あんこ-45
 藤井重治の初期の人形

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 藤井重治代表作
 

椿の原木を刻んで作る素朴な「手彫りコケシ人形」は昭和24年頃から三原山の茶屋を中心に販売されてきました。

画像 020
 いろいろな形の手彫り人形


 この歴史ある「あんこ人形」とかつての良き大島の風俗風習を伝え残す「伊豆大島木村五郎・農民美術資料館(藤井工房併設)」を藤井重治の実子藤井虎雄が平成11年に開設させました。あんこ人形作りに加えて大人から子供まで気軽に2時間でチャレンジできる椿の枝で作る「あんこ丸彫り人形体験教室」を随時行なっています。

画像 344
 小学4年生の力作です

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 初めて彫られた大人のあんこ人形作品


また「大島を描いた画家や文人たちの資料」を掘り起こして館内で公開しています、あんこ人形の資料館は         【 大島らしさを後世に伝える場所 】 として存在しています。

資料館ポスター
 資料館のポスター

P2270005.jpg



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