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『あんこ』は目上の女性を親しみを込めて「おとらあんこ」など名前の下につけて呼びました。今では広く島の娘さんのこと、ちなみに私は男。   連絡メール

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あんこ人形誕生記
昭和初期、伊豆大島に生まれた農民美術「あんこ人形」、 島人に彫刻を指導した彫刻家木村五郎、60年彫り続けた職人の父、人形生誕から資料館を開くまでの回想と資料館の今と未来を記す
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大島を描いた画家たち④
 大正期から昭和10年代までに多くの文人墨客、特に個性的な画家が大島を訪れている。小さい島なので同じ時に同じ宿に泊っていたり道ですれちがったり、スケッチをしている姿を目にしただろうことは容易に想像できる、当時は画学生であったり無名の画家だったりしてお互いの存在を意識しなくても囲炉裏端で酒を飲み交わしたり、作品を批評しあったり、気が合えば競って絵を描いたかもしれない。
 すでにその時代から長い年月が経ってしまっているので、その出会いをひとつの文章の中から見つけることは指南の技ではあるが、木村五郎研究会は長い間いろいろな分野の資料を集めてきたので少しづつだが当時の様子が分るようになってきた。「大島風景」を描いた中村彝(つね)が4ヶ月大島に滞在した時、まだ18才だった東郷青児も大島に居り、すでに画壇で名の知られた中村彝と近しくして浜辺を歩いたりしたことをある文人が書いていることを木村五郎研究会の時得会員は見つけ出した。村のあちこちで海に向って夕日を、山を見上げて稜線を、水汲みの娘たちをスケッチする画家たちの姿を見た、という島の古老の話も聞いたことがある、もっと多くの作品を見ることが出来れば当時の大島の風景が浮かび上がるに違いない。
 坂本繁ニ郎と森田恒友は一緒に来た、村山槐多は山崎省三を追って、3年住みついて暮らした不染鉄、長逗留し多くの作品を残し、遺作集に掲載された作品100点のうち大島を描いた作品が半分だった洋画家池島清(慶春)、放浪の途中でたどりついた上野山清貢は病気療養中の文人素木しづと巡り合い結婚した、しづは二人の出会いを「蒸風呂」「白霧のなかへ」「美しき牢獄」「こころ」という作品に残した。
 昭和5年6月には漫画家の前川千帆・水島爾保布・池部鈞・服部亮英・細木原青起・池田永一治が来島、船の出発から大島上陸、三原登山、波浮港から帰京までの出来事を文章と挿絵で表わし、サンデー毎日に「大島漫画行」として掲載された。東京湾汽船(現在の東海汽船)はこの6人の作品を15ページの小冊子にまとめ、9月に観光客向けのガイドブックとして1冊20銭で販売をはじめた。
   20070126164952.jpg
6人の漫画家による小冊子(池部鈞の表紙画)
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東海汽船 ガイド

東海汽船東海汽船(とうかいきせん)株式会社は、東京-伊豆諸島間を主な定期航路として運航する海運会社である。なお伊豆大島|大島内で運行されているバス部門は子会社の大島旅客自動車の運行となった。また、大手私鉄の京浜急行電鉄と関係が深い。.wikilis{font-size:10px; フェリー&港 ガイド【2007/02/14 20:14】

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