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『あんこ』は目上の女性を親しみを込めて「おとらあんこ」など名前の下につけて呼びました。今では広く島の娘さんのこと、ちなみに私は男。   連絡メール

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あんこ人形誕生記
昭和初期、伊豆大島に生まれた農民美術「あんこ人形」、 島人に彫刻を指導した彫刻家木村五郎、60年彫り続けた職人の父、人形生誕から資料館を開くまでの回想と資料館の今と未来を記す
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あんこ人形創始者再検証
 藤井重丸資料展のガイドブックの中で「初めて見る貴重な資料」を分析してみました、確証を持って言い切れるだけの決め手は少ないのですが、藤井重丸氏の項を閉じるにあたり、もう一度「あんこ人形の創始者―藤井重丸」を聞き取り・伝聞、島の新聞、現存する人形の比較により検証して見ようと思います。

1,聞き取り・伝聞

 私は11年前にこの資料館を建てました。夢を実現させるための第一のハードルは「木村五郎とあんこ人形」についての資料を掘り起こし、充実した資料集を作れるかどうか、ということでした。
 調査で出会った重要な人物が大島元町にお住まいだった山藤登志さんです。山藤さんは木村五郎が定宿にしていた「柳川舘」の親戚筋の方で、宿に出入りして木村五郎と親しく話が出来た顔見知りです、登志さんには版画や木彫りなど木工が得意な兄弟が二人いました。兄の山藤忠は木村五郎が講師をした農民美術講習会に出ました、弟の柳瀬幸雄は講習会で習うことは無かったのですが、家から近かったので会場へ出入りしていたそうです。
 登志さんから「大島で講習会をする前から岡田と元町で人形を彫っていた人がいた」とお聞きしました、元町ではこの兄弟が最初だったのでしょう。現存する「あんこ人形(山藤忠作)」を開館から約1年資料館で展示させていただきました。
 版画家の本多保志さんが「木村五郎とあんこ人形と私」という聞き取り調査の文に「観光が盛んになりはじめた大正の終り頃、大島のみやげは月出商店の絵葉書くらいしかなかった。大正14~15年頃に岡田に藤井重丸という絵描きが住んでいた、重丸さんに杖を彫らせた・・何かおもちゃを作ろうと、今のこけしの様な丸い人形を作ったり木炭人形を作ったりした」という岡田在住の白井潮路さんの話が載っています、白井さんは藤井重丸を支援した一人です。
 ここで分かったことは木村五郎が講習会で彫刻を教える前から大島でおみやげとして「あんこ人形」が作られていたということです。

2,島の新聞の記事

 『島の新聞』は大正末頃から戦前くらいまで一貫して「大島の産業に木工を」と紙面で呼びかけました。農民美術講習会の様子を記事にし、彫刻家木村五郎の「大島に農民美術の生まれたこと」ほか数回木村五郎の寄稿文や大島農民美術組合の牽引役だった大橋清史の組合活動報告を積極的に載せました。
 昭和4年6月には農民美術特集号を企画して日本農民美術研究所山本鼎所長の「農民美術について―趣味は米と同じに生活の糧である」や大島を訪れた二科会会員中川紀元画伯の「木彫り人形を見て」の記事を載せました。
 昭和9年7月号の社説「農民美術組合の作品について」で土産物としてのあんこ人形の価値を評価しています。これだけ熱心に島の木工産業育成に力を注いできた島の新聞が藤井重丸没後の訃報記事で「あんこ人形の創始者藤井重丸」と書き、大島カルタでは「きー木彫りの元祖藤井重丸」と詠んでいます、藤井重丸氏が住んでいた岡田村からあんこ人形が最初に生まれたに違いありません。  


3,あんこ人形の比較

【1】初期のあんこ人形(昭和2~3年頃のものか)
 藤井重丸と柳瀬幸雄の人形(人形にシゲ○、ユキ尾のサインがあるので作者を特定できる)写真①、柳瀬さんは講習会に参加してはいないが実兄が講習会に参加、長く人形を作った島人の一人です。
二人の人形の共通点は、髪の毛とてぬぐいを絵の具で塗り分けている②③、前垂れのひもは絵の具で描かれている①、頭に乗せた水桶には魚の姿や水の青など何らかの彩色がしてある④、足は揃っていて前後に開いてはいない。農民美術という運動とは無関係に、日常見られた大島独特の婦人風俗姿⑤を「純粋なお土産品」として作りはじめたものと思われる。

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  ①右の三体がシゲ○作のあんこ人形、左端は柳瀬幸雄さんの人形

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  ②③髪の毛とてぬぐいを彩色

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  ④水桶のなか、魚や水を彩色

あんこ水くみ
  ⑤普段着の女性の水汲み姿

【2】農民美術あんこ人形(昭和4~5年以降)
 彫刻家木村五郎は人形意匠(姿形)を水汲みと山帰り(山から薪を頭に乗せて帰ってくる姿)⑥に決めて講習会で島人に二体の彫刻技法を伝授した。
 特徴は型紙⑦を使って粗彫りをしていること⑧、前垂れのひもと結び目を彫刻し⑨、束ねた髪の毛も立体的に彫刻で表現している⑩、足を前後に開いている人形⑪が多く見られる。

画像 110
  ⑥講習会で彫刻指導されたあんこ人形2体(作者不詳)

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  ⑦水汲み(左)と山帰りの型紙

P8190133.jpg
  ⑧型紙を転写して粗彫り

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  ⑨前垂れのヒモと結び目を彫刻

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  ⑩束ねた髪の毛を彫刻と彩色で表現

P1010006.jpg
  ⑪島人のあんこ人形

【3】「青衣の女」
 木村五郎が指導したあんこ人形は水桶と薪の二種類であったが、彫刻家として日本美術院展覧会に作品を出品するために試作した「伊豆大島婦人風俗木彫作品」の姿形の人形も教えたと思われる。「青衣の女」というタイトルで島人は商店に卸して売っていた。左端が木村五郎の作品(大島に現存)、右の5体は受講生の「青衣の女」⑫、それぞれ独自の表現方法で彫りあげている。

大島人のあんこ
  ⑫左端木村五郎の作品、右の5体は受講者の作品

 「木彫の元祖・あんこ人形創始者―藤井重丸」の貴重な資料と現存するあんこ人形は今田さんのご好意により引き続きこの伊豆大島木村五郎・農民美術(あんこ人形)資料館で展示させていただけることになりました。島人のあんこ人形や彫刻家木村五郎の作品と一緒に見ていただきます。
 私は岡田港まで時々行くことが有ります、岡田トンネルの手前に生前藤井重丸氏が暮らした場所(畑)が残っています、「80年も前の草庵跡がはっきりと分かる時間が止まったような空間」を初めて今田保さんと見た時に味わった「驚きとこみ上げてくる感動」が通る度に蘇ります。
 今田保さん、大島でシゲ○さんを探している私を見つけ出し連絡してくれ、貴重な資料を見せていただきありがとうございました、これからもあんこ人形創始者として顕彰して行きたいと思います。
 (新しい発見や資料の掘り起こしなどの動きがあればシゲ○さんについて随時掲載いたします)

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