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『あんこ』は目上の女性を親しみを込めて「おとらあんこ」など名前の下につけて呼びました。今では広く島の娘さんのこと、ちなみに私は男。   連絡メール

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あんこ人形誕生記
昭和初期、伊豆大島に生まれた農民美術「あんこ人形」、 島人に彫刻を指導した彫刻家木村五郎、60年彫り続けた職人の父、人形生誕から資料館を開くまでの回想と資料館の今と未来を記す
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映像で父と再会1
私の父は明治42年に大島生れ昭和9年頃から60年間あんこ人形を彫り続けた職人で、平成9年に90才で永眠した。
白内障や緑内障が進み、物がダブって見えるようになり83才で彫刻は引退したが、90まで隠居家で一人暮らしをしていた。
平成7年、父の米寿の記念に「何か残しておきたい」と思い、手許に残っていたビデオテープを繋ぎ合わせテロップを付けて編集、日頃お世話になっている親戚の方々にも配って現役だった頃の勇姿を見てもらうことにした。
離れ島だが比較的に東京から近くて手軽に取材できることも手伝い、伊豆大島がテレビに取り上げられることが多かった昭和40年から60年代に「あんこ人形の作り手」として父は何度も取材を受けていた。
この貴重な米寿記念テープを迂闊にも何処かへ紛れ込ませてしまって何年も見つけることが出来なかった。ひょんな事から押し入れの奥に有ったのを見つけることができ、さっそく再生してみたところ、管理が悪かったためテープにはカビが生えて、一度目の再生は鮮明だったが二度目には何本ものスジが入るようになってしまった、テープの表面がはがれてしまったらしい。
画像が乱れたテープの話を聞いた親戚が、自宅に保存してあった米寿の記念に配ったビデオテープ(きれいな画像)をタイトルと写真をレイアウトしてDVDに焼いて届けてくれた、これなら原画とまったく遜色がない。写真は昭和30年のお盆に撮影したもので、祖父母と父母、兄二人、一番前に立っているイガグリ頭の少年が当時5才の私。

ビデオテープには、まだ現役で店を開いていた頃にテレビ取材された「レディース4」平成2年(81才)と「みんなの東京」平成4年(83才)の二本で、いずれも父があんこ人形を作りながらインタビューを受ける形式の物だった。
ビデオには黙々と人形を彫っていたイメージとは違って、彫りながら淡々と質問に答える父が映っていた、元気だった父とは久しぶりの再会だった。
 普段はぶっきらぼうで人慣れしない応対をしていた筈の父だが、カメラの前では雄弁で思っていることを自然に話している、ちょっと都会人のような雰囲気も漂っている、そんな風に伝わってきた。
観光地伊豆大島の名産品として「あんこ人形彫刻を店頭で実演する姿」はテレビの絵にもなったので結構取材を受けたと記憶しているが、なかなか自分が思うような紹介の仕方をされず嘆いていた姿も思い出す、この二本は良く撮れていると思う、それだからきっと米寿の記念品にしようと思ったのだろう。
 米寿のビデオには作業中の粗彫りの人形や彫刻の過程が少し映っている、何より驚いたのはノミの切れだ、木槌でノミを叩いていた記憶があるが鉛筆でも削るようにまだ生乾きの大島桜の原木をサクサクと簡単に人形の面を合わせて彫っていた。
 父がもっと若かった昭和60年代に町役場から「あんこ人形を彫る姿と工程をビデオに納めたい」という話が出たことがあった、そのままでたちぎれになってしまって実現しなかったが、今思えば「もっと執念深く企画の催促をしていれば今の苦労はなかったのに」そう反省する毎日だが、その頃は自分自身がまだ彫刻や後継について眼が向いてはいなかったのでしょうがない。
私設の資料館では昭和5年に民俗学者宮本馨太郎が撮影した「伊豆大島」の映像(約10分)を資料館開館後に入手、島の風俗風物を知ることができる貴重な動く資料として希望者に随時放映しているが、米寿記念の映像も「あんこ人形を60年作り続けた証し」として希望が有れば約8分間見て貰いたいと思っている、父の人柄や人形に対する意欲も伝わると思うが、何だか自分から「こっちも見ませんか」とは言えそうもない。
ビデオからdvdへ
 
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  元町港待合所前の店舗(建物は残っているが今は総菜の店になっている)

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