プロフィール

ankosan

Author:ankosan
『あんこ』は目上の女性を親しみを込めて「おとらあんこ」など名前の下につけて呼びました。今では広く島の娘さんのこと、ちなみに私は男。   連絡メール

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

あんこ人形誕生記
昭和初期、伊豆大島に生まれた農民美術「あんこ人形」、 島人に彫刻を指導した彫刻家木村五郎、60年彫り続けた職人の父、人形生誕から資料館を開くまでの回想と資料館の今と未来を記す
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

水汲み場
水汲みの娘
 水汲みの若い女たちが写る現場は何処だろうと考えた、当然ながら当時の面影の場所に心当たりはない。
 「大島の風景」として町の風景や風俗を残す資料を集めているがその中にヒントがあった、偶然にも現場の近くに住んでいた人が写真を見て場所を特定してくれたのだった。
今回の写真には「水汲みの井戸」から村道に出てきたか順番待ちをしている島娘たちが写っている、その坂道の奥に7人が並んで記念写真を撮った石の階段がある、石垣の家は柳瀬家であることも判った。
この水汲み井戸が南の浜川(ハマンカー)と呼ばれた場所に間違いない、写真には写っていないが左の角に宿屋があった筈だ、井戸の場所が特定できたことで、「大島の一部」を描いた画家坂本繁二郎の写生地と写真のハマンカーが一致した。
 当時は風呂屋が2軒有った、一軒は「かねこ」、もう一軒はまだ判らないがこの近くだったと聞いたこともある。
 文人藤森成吉の「若き日の悩み」(大正元年発表)には【・・・この湯はみんな、あんこ達が井戸から水桶に汲んで運んできた水を温めたものであることや、毎日あんこが、二人で朝から一斗ずつ汲み続けていることや、一杯が五厘五毛ずつで、一人が六十杯即ち六石ずつで・・・】と書かれている。
 ちなみに「あんこ」は一般的には島娘のことで、正式には姉子が変化した方言である。

スポンサーサイト


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。