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『あんこ』は目上の女性を親しみを込めて「おとらあんこ」など名前の下につけて呼びました。今では広く島の娘さんのこと、ちなみに私は男。   連絡メール

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あんこ人形誕生記
昭和初期、伊豆大島に生まれた農民美術「あんこ人形」、 島人に彫刻を指導した彫刻家木村五郎、60年彫り続けた職人の父、人形生誕から資料館を開くまでの回想と資料館の今と未来を記す
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宇治人形作品展のカタログ
知られざる茶の木人形の世界「宇治人形」の出品カタログを送っていただいた。何かの都合でカタログが遅くなると聞いていたが、作品展に行けなかったのでどんな作品が展示されたものか、知りたいと思っ待っていた。
興味の中心は「彫刻家木村五郎が農民美術講習会の講師として昭和2年に宇治に出向いて技術を伝授した」ということで、その時の人形が残っていないか、その人形と長い歴史を持つ宇治人形との関係について、ということだ。
堅い根付人形は5センチくらいと小さい、古くはお茶を買ってくれたお礼の品ともしたようだ、大島の椿の木も堅いがお茶の木はもっと硬いのだろう、写真を見ただけだが黒光りしている。
明治の終りに一度宇治人形の技術は一度途絶えてしまうが、模刻から徐々に後継を目指す人も現れて来た時代の流れの中で昭和2年に日本農民美術研究所嘱託として木村五郎が「宇治茶摘人形」他の木彫人形を講習会で指導した。3週間の講習でどれだけの成果が得られたものか、最初は30名いたが最後まで続いたのは13名だったとカタログに書かれている。
もともと「宇治人形」が作られていた宇治町で講習会が行われたことは「宇治人形の再興」という望みもあったのだろうか、京都府が講習会を誘致している。
私が資料として持っている新聞切抜き(掲載紙不詳)には「・・・茶樹の老木は新樹に植え替えることkになっているので、掘り起こして捨てられたものを利用して宇治町では維新前から茶摘女姿の人形を売っていた。・・・茶の木だけに優雅味もあり風流な客には喜ばれるが、値が高いのでどうも一般向けしない・・・そこで日本農民美術研究所の指導をうけて「茶摘人形」を売り出した。用材は朴の木で郷土味豊かなものだ。一個1円50銭で売っている」と書かれている。
講習会場の写真を良く見ると「茶摘人形」のほかに「鵜飼人形」や違った形の人形も写っているから何種類か試作したものと思われる。
伊豆大島が「あんこ人形」であったように宇治では郷土の風俗風習の「茶摘人形」が木村五郎の意匠により作り続けられた。
図録は花園大学歴史博物館が発行したものです、展覧会には182点の作品や資料が展示されました、2枚目の作品写真は講習を受けた桂楽峯(甚一)氏の作品です。
 伊豆大島木村五郎・農民美術資料館は講習会の写真と資料を少し提供しましたが、こんなに沢山の宇治人形と講習会で学んだ茶摘人形が残っていたという事実に驚き、こうして図録を見ながらこの意義ある企画に少しお役に立てたかもしれない、そう思っている。
 個人的にいただいたお手紙に「宇治人形の魅力を紹介するという目的は達せされたのではないか・・しかしこの研究が終った訳ではなく、もう一度宇治の地で宇治人形が復活できるよう活動できたら、と考えています」と書いていただいた。伝統の宇治人形と木村五郎が指導した農民美術茶摘人形は形状は違うが先人たちの財産を引継いで行って貰いたいものだ。

宇治人形展カタログの表紙

木村五郎意匠の朴の木の人形ほか


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