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『あんこ』は目上の女性を親しみを込めて「おとらあんこ」など名前の下につけて呼びました。今では広く島の娘さんのこと、ちなみに私は男。   連絡メール

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あんこ人形誕生記
昭和初期、伊豆大島に生まれた農民美術「あんこ人形」、 島人に彫刻を指導した彫刻家木村五郎、60年彫り続けた職人の父、人形生誕から資料館を開くまでの回想と資料館の今と未来を記す
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一区切りは10年
 「石の上にも3年」ということわざがあるが、「資料館の見通しはどうですか」と開館当初に聞かれた時に「石の上にも3年」と答えた記憶がある。
ただ座して3年居ればよいということではないし、今は開館から8年目に入っているが「一生懸命にやって何がしかの成果が出るまでにはまず10年」そういう気持になっている。
 彫刻家木村五郎の義妹の木村芳子おばさんは、「兄さんの資料館で苦労をかけるね」が口癖。私は一度諦めた人形作りと大島風俗風習の保存継承の場所を五郎さんと農民美術、忘れ去られようとしているものたちに支えてもらって作ることができた、感謝しなければならないのは私のほうです」と答えている。
 先行きが不透明な混迷の時代に入って、大島の観光客は激減して資料館へ来てくれるお客さんも思ったほどではなく、島の中の知名度もなかなか広がらず、思う程に必要とされている実感も薄く、覚悟していた以上の苦戦が続いているが、夢を叶えて8年目、失ったもの、見えなくなってしまったもの、見えてきたもの、私はひとり工房で毎日考え続けてきた。
 信州上田の農民美術の家の荒井宏一さんの悲報は初期の木片人形たちの解明と大島との繋がりを断ち切ってしまった。木村五郎研究会の会長であり、『シデ』編集長の大西さんは病に倒れ、入退院を繰り返し今も療養中だ、毎号が五郎さんの特集号であった『季刊誌シデ』は資料館開館記念の17号を最後に休刊となったままだ。碌山美術館の千田さんは碌山を去り美術史家として活動、今は日本美術院に所属した彫刻家たちの調査をされている。農民美術研究家のY先生は、もうそろそろ資料の整理に入るのかと思っていたら、新たな農民美術生産組合の木彫人形の調査に着手されている、この組合の人形彫刻指導には五郎さんがお世話になった松村秀太郎氏が何らかの形で関わっているらしい。盛んだった各地の農民美術運動の全貌がY先生の手で明らになることを心待ちにしているが、文字に残すための作業はまだまだ先になりそうな気配だ。

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