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『あんこ』は目上の女性を親しみを込めて「おとらあんこ」など名前の下につけて呼びました。今では広く島の娘さんのこと、ちなみに私は男。   連絡メール

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あんこ人形誕生記
昭和初期、伊豆大島に生まれた農民美術「あんこ人形」、 島人に彫刻を指導した彫刻家木村五郎、60年彫り続けた職人の父、人形生誕から資料館を開くまでの回想と資料館の今と未来を記す
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大島ゆかりの画家②
 芸術家を父に持つ中出那智子さんは12才から絵日記を描いていた。
 画家中出那智子誕生の出会いを紹介した「太陽と大地、そして少女の感性」(中日ニュース記事)がある。
『23才の時、二人の男性に出会った。「どちらか一人でも欠けていたら、私は画家にはなれなかった」それほどに運命的な出会いだった。
 一人目は、スケッチのために伊豆大島を訪れていた宮本三郎画伯。「これは一生に三度あるというチャンスの一つなんだ」と感じた那智子さんは、小学生のときに描いた絵日記を見てもらうことにした。見せるものはそれしかなかったのだ。宮本画伯はその絵日記を食い入るように見つめ、油絵を描いて二紀展に出品するように言い残して島を去った。
しかし、油絵など描いたこともなかったし、島に絵具もない。そこへ現われた旅人が、後に夫となる音楽家・中出良一さん。「僕が東京で絵具を買って来てあげよう」――そうして良一さんに見守られながらはじめて描いた油絵は、初出品で入選を果すことになる。
 その後、自由の天地を求める夫とともにブラジルへ渡り、生活のために日曜市で絵を売る体験もした。「初めて絵を売ったお金で魚を一皿買った。それがプロの第一歩でした。」豊かで情熱的な色彩の画家中出那智子は、ブラジルの太陽と大地によって育てられたのである。
 帰国後、夫の故郷である石川片山津に落ち着いたが、その夫は急逝。ー(中略)ー
 最近はとても気持ちよく絵を描いている様子、「自分にしか描けないものを描いていきたい。私の絵は、ぐいぐい元気に、自由な色で描くのがいいみたい」
23才の時のきらめく心をそのまま持ち続けている、少女のような人である』
 初対面だった資料館に見えたあの日、「いつかここで作品展をやらせてもらいたい」そう私はお願いした。那智子さんの瞼に焼き付いている「昭和の大島風景」が再現され、いつかその作品を資料館で見てもらえるようにしたい、その欲求が体の中を駆け巡った。
資料館で出会ってから画家と一対一の交流がはじまった。手紙のやりとりで段々と中出那智子の絵の世界がわかってきた。ブラジルやイタリアの強烈な赤や青の色彩に特徴があり、最近は海外の作品が多くあまり古里を描いてはいない感じだった。私はしばらくして「大島の資料館で大島を描いた作品展をやらせてもらいたい」と大島を描いた作品という条件をつけてお願いしてみた。幸いなことに作品展は出会ってから1年半後に実現した。
 「ふるさとを描くー中出那智子油絵展」は平成15年1月25日から4月5日まで当館で行なわれた。大島を描いた35点の作品の展示と頒布、長島定一氏の木彫「南国」と小さな油絵1点と資料を公開した。大島に現存する初期の作品(個人所蔵)を数点お借りして一緒に展示させてもらった。
 油絵展のポスターは代表作「島娘」(昭和43年製作20号)で作った。この作品は所蔵者のご好意で大島の作品展から引き続き今日まで資料館に飾らせてもらっている。
    20070131142615.jpg     natikoyomeiri.jpg
               「嫁入り」1961年作(大島町所蔵)
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