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『あんこ』は目上の女性を親しみを込めて「おとらあんこ」など名前の下につけて呼びました。今では広く島の娘さんのこと、ちなみに私は男。   連絡メール

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あんこ人形誕生記
昭和初期、伊豆大島に生まれた農民美術「あんこ人形」、 島人に彫刻を指導した彫刻家木村五郎、60年彫り続けた職人の父、人形生誕から資料館を開くまでの回想と資料館の今と未来を記す
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穂高の碌山美術館へ
次の日、上田からバスで鹿教湯温泉、松本経由で穂高の碌山美術館へ、17年ぶり三度目の訪問となった。千田学芸員は十数年前から木村五郎の調査をされており、平成7年「木村五郎のことで何かご存知ないか」と私の父に宛てた手紙が遺品の中に入っていた。貴重な研究資料と生前に親交があった彫刻家や関係者の連絡先を教えていただいた。美術館は木村五郎の縁者から寄贈された木彫二体と「大島の駱駝のスケッチ」や年賀状、書簡類を収蔵していた。
日本近代彫刻の流れと展開を研究するこの美術館の作家リストには「木村五郎が近代彫刻の奔流にいた証し」として木村五郎の名前と簡単な経歴が紹介されていた。
「・・木村の作品には、鶴三が若い頃制作していた独特な彩色風俗木彫の影響がみられる。しかし彩色風俗木彫は形態や色彩が表に立ち、ともすれば人形的な趣味性に陥りがちで彫刻性が裏面に追われやすく、木村はその表現のうえで彫刻としていかに成り立たせるかという点で辛苦した・・」「・・木彫の制作指導を行い、彫刻の普及とその水準の向上に力を尽くした。・・」という美術館の解説も読んだ。
木のベンチと水飲み場は元のままのような気がしたが、木々も成長し、蔦も伸び、新しい展示館も建ち、30年前に見た小さな美術館の印象とはずいぶん変って見えた。
はじめての調査で、その土地の特色を表わした様々な格好の木彫(木片)人形に出会うことが出来た、大きな手応えを感じた有意義な信州の旅は大きな勇気を貰った旅でもあった。
  20060930115945.jpg
平成10年の碌山のパンフレットより
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