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『あんこ』は目上の女性を親しみを込めて「おとらあんこ」など名前の下につけて呼びました。今では広く島の娘さんのこと、ちなみに私は男。   連絡メール

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あんこ人形誕生記
昭和初期、伊豆大島に生まれた農民美術「あんこ人形」、 島人に彫刻を指導した彫刻家木村五郎、60年彫り続けた職人の父、人形生誕から資料館を開くまでの回想と資料館の今と未来を記す
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見事な看板
私は大西さんのテニス教室のコーチ役を引き受けてから2回教室を辞めた。一回辞めたあと、息子が「テニスをやりたい」と言うので教室に復帰させてもらった。大西さんから勝手に辞めたことに対する発言はなく復帰させてくれた。2回目は息子もテニスを卒業し、私もテニスより人形彫刻の練習をせねば、それが理由だった。大島テニス協会の将来の担い手として期待してもらっている雰囲気を感じながらの退会だった。
そんなことがあっても大西さんは絶交することも無く付き合ってくれた。初めてそれらしい人形が彫れたと思った時にあんこ人形を見せに行ったら「これでは先行きが不安だな」そういう顔だった。そんな出来映えの人形のレベルであることは承知していたが、自分勝手にラケットを握るのは止めたが、今こうやってノミを握ってやっています、と伝えたかった。
木村五郎に注目、絵葉書の発見を契機として時得先生と大西さんが「伊豆の島々を行く」を発行されたが、私も先輩達の仲間に加えてもらい「木村五郎研究会」が発足した。大西さんは、テニスの件には触れることなく仲間にしてくれた、テニスから通算すると18年に及ぶ仲間でもあり、ある意味でのライバルでもあった。
看板は開館の1週間前に見事に出来あがった、粗い彫りながら生き生きとした藤井工房の字が浮き上がっていた、木村五郎研究会の会長から一番のお祝いをいただくことができた。支柱の到着が遅れ鉄パイプのままで開館を待った。
   20061120105423.jpg
   鉄パイプで仮留めされた看板
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島で育った木
平成11年の春、地元の製材所の人が家にやって来た、その人は私が資料館を作ることを知っていたが、訪問の用件は「家は島で育った木を使うのが一番だと思っています、山に置いてある杉を挽かせてもらいたい」そんな話だった。放置しておけば腐ってしまいそうな保管状態だったので、製材した杉板で資料館の棚を作ってもいいかな、いつか私が使いたい分は指示通り製材してもらうことを条件に申し出を受けた。取りあえず製材所に材木を運んで大きく切って乾燥させてもらっていた。
看板にする適材が見つからなかったので、大西さんにこの杉の事を話して製材所に見に行った、どっしりと存在感がある材木を二人とも気に入ったので、この杉でやろうという事になった。先祖代々関わって育て上げた木が資料館に力を貸してくれるだろう、そう期待もした。
4枚の看板を造ることになり、小さな3枚は塗料で「木村五郎」「農民美術」「資料館」と書き、大きな一枚「藤井工房」は手彫り、横220センチ、縦55センチの大作になる。大西さんが看板と格闘を始めたのは7月の中旬、作業は大西さん一人で進められた。
   20061119094715.jpg
     看板の字体  
資料館の看板
 大事な看板は、資料館に相応しい労作を期待して木村五郎研究会の大西会長(シデ編集長)にお願いした。大西さんは何にでも器用で、特に大工仕事と書道は得意とする分野だった。まず看板の材料の調達からはじめた。私は桜材が良いのではないかと思っていたが、適当な材木が見つからなかった。
父が元気な頃に、代々耕作をしていた沢沿いの山林と畑が、三原山噴火の溶岩を食い止める砂防施設を造るために東京都に買収された。この山の一角に曽祖父が植林をした杉の木が何本も有った。私が子どもの頃に大木を切り出して製材所へ売ったこと、伐採した後に杉の苗を何日もかかって家族総出で植えたことを覚えている。平坦な場所にあった杉は切り倒して売ったが、沢の傾斜地に有る杉は搬出が難しかったので伐採せず、そのまま山の中で成長していた。今回買収されたエリアは沢沿いだったので大木の杉は抜倒されることが決まっていたので、父は大きく成長した木を何本か譲って貰えるように生前に交渉していた。
工事がはじまって木が倒されると、隣接する土地に大きな3本の杉を運んでもらった。すぐに使う当てはなかったが、父は先祖の苦労が報われた証を何かの形にして残しておきたかったのだと思う、杉の丸太は雨囲いもしないで長く道路の脇に積んだままにしてあった。



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